こんにちは!
以前書いたスワンプマンの記事が地味に好評だったので、思考実験シリーズ始めました!
思考実験大好きなんですけど、今まではわかりやすく書けるか不安だったので、記事にしなかったのです(^^;
しかしこの度思い切ってチャレンジしてみます!
という事で今回は思考実験の有名どころ、哲学的ゾンビを取り上げたいと思います!
哲学的ゾンビって?
哲学的ゾンビとは一体何かを私の出来る限り説明します!
哲学的ゾンビは見た目から身体構造、細胞までありとあらゆる物質が普通の人間と全く一緒で、人間とは区別する事が出来ません。
この辺はスワンプマンと似てますね。
そして哲学的ゾンビが人間と唯一違う所は、クオリア(感覚質)※や意識といった内面的な経験を持たない所です。
※クオリア(感覚質)…クオリアとは簡単に言うと『感じ』の事で、青空を思い浮かべた時の青い『感じ』とか、タンスの角に小指をぶつけた時のあの痛い『感じ』の事を言います。
青や痛みそのものはクオリアではありません。クオリアは他者からは観測出来ない超個人的なもので、それを他者に説明しようにも言語化が不可能なものという性質を持っています。
哲学的ゾンビがクオリアを持たないと言っても、私たちと同じように笑うし、怒るし、泣きます。結婚だってするし、産まれた子供を愛したりもします。親が死んだら悲しんで泣いてしまう事だってあります。
結構誤解されやすいのですが、哲学的ゾンビは感情の起伏が無かったり冷たい人間というわけではなく、あくまでも上記のように私たちと全く同じように振る舞うのです。
なんだかゾンビという単語のせいで分かりにくくなってるような…(^^;
哲学的ゾンビの話で一番怖いところ
では哲学的ゾンビの話の怖い所を説明していきます!
哲学的ゾンビの話で1番怖い所は、
私たちの隣にいる人が哲学的ゾンビか人間かを証明する事が出来ない
という事です。
この記事を書いている私ももしかしたら哲学的ゾンビかも知れませんよ((((;゚Д゚)))))))
哲学的ゾンビと人間の違いはクオリアを持たないという1つの違いしかないのですが、
そもそもクオリアは自分自身にしかわからず、個人によって差がある(であろう)もので、自身のクオリアについて言語化して相手に伝え、説明する事は不可能です。
クオリアがあるという事を誰も証明出来ないのですから、誰が哲学的ゾンビで、誰が否かを証明する事も、同じく誰にも出来ません。もちろん自分自身が相手であっても。
そして私が哲学的ゾンビについて思う事は
で?
っていう感じですね(^^;
哲学的ゾンビという名前から一瞬は変な恐怖を覚えますが、中身を知ると
『おめぇ大したことねぇなー』
と強気になります笑
変に怖がる必要はありません!証明出来ないのは全員同じだし、もし身近な誰かが哲学的ゾンビだったとしても、それは人間と何ら変わらない振る舞いをするんですから。
実は哲学的ゾンビは議論のツール
実際のところ哲学的ゾンビそのものは、哲学者達の間でも存在しないものとして考えられています。
哲学的ゾンビは議論をスムーズに進める為の便利なツールとして産み出されたアイデアなので、架空の存在なのです。
オーストラリア人の心の哲学者、ディヴィット・チャーマーズ氏が
よっしゃ、便利そうな架空のゾンビ使って唯物論否定したろ!
と、哲学的ゾンビを用いて唯物論を否定しました。
そこから哲学的ゾンビの存在が爆発的に広まることになりました。(哲学的バイオハザード的な)
ただ言葉とイメージが一人歩きしてしまい誤解されるケースも多いです。(哲学的ウォーキングデッド的な)
ちなみに哲学では哲学的ゾンビしかいない仮の世界をゾンビワールドと言います。更にこう言ったゾンビについての論法をゾンビ論法と言います。
哲学者で難しい単語知ってるんだったら、もっと捻れよ!!!
哲学者達よ、何故ゾンビなのだろう?
哲学者達よ、何故ネーミングが適当なのだろう?
ん?この場合、適当なのは翻訳者なのかな?
まとめ!
いかがでしたか??
案外詳しく知ると怖くない哲学的ゾンビです。
私自身ももっと良く学んで、もっとわかりやすく説明できるようになりたいです。
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