こんにちは!
今回は身近なパラドックス!
『張り紙禁止』と書いた張り紙のパラドックスについての記事です!
『張り紙禁止』と書かれた張り紙は許されるの?
『張り紙禁止』の張り紙という矛盾した存在
身近な場所で時々見かける張り紙禁止の張り紙。
この潔い程に無駄のない矛盾っぷりに私は感動すら覚えました。
ここは張り紙禁止の場所なんだよ、という事を示すためにやむなく張られるわけですが、
『お前はどうなんだ?』
という気持ちが、どうしても生まれてしまいますので説得力に欠けますよね。
なのでむしろその存在は滑稽にすら見えます。
意外と多い似たような事例
ガンダム00
ガンダム00の1stシーズンのストーリーも張り紙禁止の張り紙と似たようなお話です。
主人公たちの組織『ソレスタルビーイング』は世界から紛争を無くす為に圧倒的武力を持って世界のあらゆる紛争に介入し平和へと導いていくというストーリーです。
ただしこの矛盾と向き合い葛藤するというのがストーリーの根幹にあるので、それほど不可解には感じませんでした。
ガンダム00の1stシーズンの最後には主人公がストーリー当初に思ったのとは違う形で、一応は実現する事になります。
この武力によって武力を制し平和を目指すという話は、この現代社会にも通じるものがあります。
しかし武力や戦争によって産まれる平和というものにはとてつもない矛盾が生じていると感じています。
戦争が平和の母なわけがないでしょうから。
他には
調べていたら夜中たわしさんの『夜中に前へ』というブログのこちらの記事に色々な例えが面白く紹介されてます!
まさに私が書きたかった事がわかりやすく書かれているので、是非こちらを読んでください!私が書くと少なからず重複してしまいそうなので(^^;
- 地球温暖化を訴える男性
- 夜神月
- 国
- 核の保有
- ターミネーター2
なるほど!と納得出来る例ばかりでした!
おまいう案件っていい言葉だなぁ。
張り”紙”じゃなければいいのか?
話しを張り紙に戻しまして、
他に見かけるのは『張り紙禁止』と書かれたプラ板。四方をビスで留めてあるアレです。
しかし張り紙禁止のプラ板は、それを見た相手にも紙以外ならOKだよ!と言ってるように感じさせますので、
よっしゃ!紙あかんかったら、同じようにプラ板をビスで打ち込んだろ!
と、考える人が居てもおかしくないわけです。ここまで来ると、もう屁理屈ですけども(^^;
そもそも張り紙が禁止ならプラ板(に限らず他に貼れるもの全般)も禁止だろうという類推解釈をするのが一般的な感覚です。
(ちなみに上記のよっしゃ!からのくだりは反対解釈)
なので張り紙禁止のプラ板は張り紙禁止の張り紙となんら変わらない矛盾を抱えている存在という事になります。従ってなんの解決策にもなっていません。
まとめ
張り紙禁止の張り紙という、矛盾した存在について書いてきましたが、
『私のするようにではなく、言うようにせよ』
という事を張り紙は主張したいんでしょう。
しかしながら説得力は残念ながらありませんね。
結論:矛盾のレベルは高いですが、スケールが小さいので『張り紙禁止』の張り紙は許されていい!なかなか洒落っ気もありますからね。
勝手に張り紙を張るのはいけませんが、私達がもしもその場所に、どうしても張り紙を張りたいならば、『張り紙禁止』と書いた張り紙を張りましょう。
きっと許されると思いますよ。それになんの意味もありませんけど。
もしくは、『張り紙禁止の張り紙禁止』と書かれた張り紙が張られるかも知れませんね。
そうしたらまた私達が『張り紙禁止の張り紙禁止』の張り紙を…、以下無限ループするので、これはまた別のお話という事で。
というか、許されざるは最初に勝手に張り紙を張った人達ですよ。そんな人達がこの矛盾した存在を生み出す原因になっている事を自覚して下さい!
勝手に張り紙!ダメ!ゼッタイ!
こんなまとめでいかがでしょうか?
コメント
張り紙禁止の張り紙を張っている人は権利者だろうから、疑問を感じる事の方が滑稽ではないですか?
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り
確かにそうかもしれませんね(^^;
それでも私は張り紙禁止の張り紙という清々しく矛盾した存在について話したかったのです。
自分も同じく、権利者が張り紙禁止の張り紙を張るという行為に対してまったく疑問に感じませんでした。
これに疑問を感じる人って、目の前のことを文字通りの意味でしか捉えられないのでしょうね。
コメントありがとうございます!
この事で疑問を感じる私の視野が狭いのか…。
たしかに行為者が
権利者という観点が抜けていました。
こういった話題を取り上げるには、
広い視野が必要ですね…。